藤内 康平

藤内 康平

大阪大学医学部附属病院 心臓血管外科

Career
  • 大阪大学卒業、紀南病院 初期研修医
  • 大阪大学医学部附属病院 心臓血管外科 専攻医
  • 心臓病センター榊原病院 心臓血管外科 医員
  • 国立循環器病研究センター 心臓血管外科部門 専門修練医
  • 最優秀専門修練医/ 心臓血管外科 ベストレジデント 受賞
  • 外科専門医・心臓血管外科専門医 取得
  • 国立循環器病研究センター 病院心臓外科 非常勤医師(研究所 再生医療センター・分子薬理部 研究員兼任)
  • 大阪大学医学系研究科 循環器病態解明・治療開発学(大阪大―国循 連携大学院)入学
  • 植込型補助人工心臓 実施医 取得
  • Challengers’ Live Demonstrations 2025優勝
  • 大阪大学医学部附属病院 心臓血管外科 医員 現職
Report 08

Question 01

趣味、休⽇の過ごし⽅は?

研修医時代に始めたダイビングは、今も長期休暇の楽しみです。普段オフの日は、YouTubeで海外の手術動画やAI関連の動画などを眺めるのが好きです。また、はじめはChallengers’ Liveという冠動脈吻合のコンテストに出ようと決めて始めたCABGの練習ですが、工夫して練習するうちに没頭し今は趣味の一つになっています。CABG以外にも制限区域でヘガール持針器を使った運針練習やMICS用器械を使った完全鏡視下MICSの練習まで幅広く練習しています。

Question 02

心臓血管外科を選んだ理由は?

父が整形外科医で、その影響から外科医を志しました。ただ、癌の手術には興味が向かず、手術で機能が戻り、患者さんが比較的早く日常へ戻れるような領域に惹かれました。整形外科と最後まで迷いましたが、医学部5年生で阪大の心臓血管外科をローテートし、心臓という臓器の魅力と、ダイナミックかつ繊細な手術手技の虜になりました。最後の決め手は選択実習で訪れたニューヨークのコロンビア大学で、中先生率いる日本人の心臓外科医らが数々の手術をこなし、現地で厚い信頼を得ている姿を間近で見たことでした。

Question 03

初期研修先はどのように選びましたか?

阪大の先生らに勧められ、和歌山県の紀南病院を選びました。比較的田舎の病院でしたが、地域医療を担う中核病院で幅広い手術があり、また研修医数も少ないことから治療を任される度合いも高く、手技等の腕を磨きつつ外科専門医の申請に必要な他領域の症例を比較的早く揃えられると聞いたためです。足りなければ3年目以降に大学病院などで他領域の研修をし直すことになるので、心臓に早く専念する上でこの2年の使い方は重要だったと思っています。一方で休日は海に潜り、夜は同期・先輩らと紀南の海の幸を堪能する、最高の思い出に残る2年間でもありました。

Question 04

最初の数年で苦労したことは?

研修医が終わり、帰局してからは状況が一変しました。阪大病院では朝から英語でプレゼンを求められることもあり、補助人工心臓(VAD)や心臓移植など、一般の病院では扱わない症例を経験しました。さらに、半年後には国内で有数のハイボリュームセンターである心臓病センター榊原病院(岡山県)に派遣が決まり、さらに状況は一変します。他のレジデントは卒後5〜10年程度の先輩方ばかりの中、自分はまだ卒後3年目の経験も知識も浅い状況でした。当直中、夜間の急変では最悪の場合ECMOやIABPの挿入などを一人で判断・実行できなければなりません。また、全症例で前立ちは担当レジデントが務めますが、その経験がまるでないため、執刀医を少しリードして手術野を展開する先輩レジデント達に教えを乞い、厳しくも丁寧な指導のおかげか、半年か1年経つ頃にようやく開胸や難しい手術の前立ち、内胸動脈の採取なども一人で任されるようになりました。

Question 05

これまでで転機になった出来事は?

榊原病院で1年半、2年目以降はそろそろ執刀症例が回ってくるのでは、という時期に、医局から国立循環器病研究センター(国循)への転勤の話を頂きました。榊原病院での下積みの途中であったため、後ろ髪を引かける思いはありましたが、迷ったときはより厳しい道を選ぶ、そう考えて移りました。そして移った国循では、また高い壁に阻まれました。例えば、内胸動脈の剥離にはある程度の自信を持っていましたが、緊急手術で出血が多く、スピードも要求されるような場面ではまだまだでした。国循の圧倒的な症例数の中で、量・質ともに揉まれる日々を過ごしました。当時の部門長/部長の藤田先生/福嶌先生らは有難いことに、どんな状況でもまずは下を信頼し完全に任せ、困ったときには出てきてくれるような存在で、他の施設では経験できないようなVAD関連の手術や緊急手術を含めて、数多くの執刀経験を積ませていただきました。また、3, 4学年上には手術も学術活動も抜きん出た二人の先輩方がいて、その方々とこのキャリアの早期に出会い、影響を受けられたのは大きな財産になっています。

Question 06

現在はどのような仕事をしていますか?

2025年10月に大阪大学へ帰局し、心臓血管外科の医員として1年間、病棟医を務めています。病棟業務を行いつつ、夜や休日は国循で進めた基礎研究の学位論文を執筆しています。

Question 07

研究について教えてください。

大学院は現在で4年目、テーマは右心不全心筋のシングルセル解析です。左室にVADを入れても右心不全のために入院を余儀なくされる患者さんをみて興味を持ちました。それでいて、右心不全の分子細胞学的機序はあまり分かっておらず、そこにトランスクリプトーム解析で踏み込もうと考えました。マウス・ラットの心筋梗塞モデルや肺動脈絞扼による右心不全モデルなどを自分の手で作ります。外科医は手技をそのまま研究に応用でき、さらには患者さんから摘出した弁や移植時のレシピエント心を扱った研究もできます。臨床で見えた現象を疾患モデルで再現したり、患者さんの組織を病理・分子細胞生物学的に探索したりすることで、どういった機序で病態が進んでいて、どこに介入すれば良くなるのかを探る。この臨床と基礎の往復に、面白みがあると考えています。

Question 08

当直やオンコール、外勤などについて教えてください。

当直は月に3回程度、外勤は月に1-2回程度です。阪大は入局者が比較的多く、タスクシェアが進んでいるため、当直明けなどは同僚に任せて、昼には帰れます。その分、研究活動や自分の好きなことに時間を割いています。

Question 09

心臓血管外科医になって良かったと思う瞬間は?

劇症型心筋炎などで突然心不全に陥った若い患者さんを、VAD手術でなんとか救い出せたときです。心臓が止まり、まさに死の淵にいた人が、自分の足で歩いて退院していきます。また、通常の弁膜症手術でも、MICS等では1週間以内に元気になって帰っていきます。手術が患者さんの予後に直結していることがこの心臓血管外科のいいところでもあり、難しいところでもあります。

Question 10

忘れられない症例は?

助かった患者さんよりも、助けられなかった患者さんのことをよく覚えています。VADなしには生きられないほど心臓が傷んだ、非常に若い患者さんがいました。機械で心臓は支えられても、他臓器の状態や社会的な事情から、移植医療へ進む道は中々開けませんでした。それでも意識は明瞭で、普通に会話ができる。命はつなぎとめている、しかし救えない、その自分たちの葛藤に本人も気づいている。出口の見えないなかで彼の不安とその治療にどう向き合うか、答えの出ないまま多職種で1年近く模索し続け、最後の最後まで多くのことを学びました。倫理と現実がぶつかり合う場所に立たされるこの治療の難しさ、重さを再認識し、より強く重症心不全外科を極めていこうと決意したきっかけになった症例でした。

Question 11

今後チャレンジしたいことは?

臨床留学です。国循で研究をしている間に海外で手術をしたいと思うようになり、USMLEのStep 1/Step 2 CKを取得しました。今はOETを勉強中で、病棟医を終えたらアメリカやオーストラリアへの臨床留学を考え、準備しています。

Question 12

心臓血管外科を志す医学生や若手医師にひとこと

心臓血管外科は非常に特殊な科です。日々確実に、知識と技術を磨き続ける他なく、しかも自分の技術が残酷なまでに患者さんの生命予後へ直結します。それでも心臓と手術を愛し、何よりも患者さんを良くすることにストイックになれるなら、迷わず挑戦してほしいと思います。